諦念と受容/禁欲的な未来

 

 


 ブルース・チャトウィンというイギリスの作家が、アボリジニーの美しい文化とその資本主義的破壊を扱った『ソングライン』という小説を書いている。その中にこんな一節があった。

'renunciation.' I said, 'even at this late date, can work.'
'I'd agree with that,' said Arkady. 'The world, if it has a future, has an ascetic future.' 
「自制することだ」と僕は言った。「まだ手遅れではない」
「そうだと思う」アルカディが言った。「この世界にもし未来ってものがあるなら、それは禁欲的な未来だろう」
(Bruce Chatwin, "The Songlines", Vintage Classics, p.133)

 禁欲的な未来。
 その言葉を見たとき、ふと、アデレードで過ごした数日間のことが頭に浮かんだ。今年の一月末、コロナウィルスのことがニュースになりだした頃だ。オーストラリアの海際の街で、北半球にあるから、一月は真夏だった。油分の多いユーカリの木が強い日差しを浴びて発火し、山火事を繰り返す、そんなような季節だった。

 私は自転車レースの観客として、アデレード郊外の、コースの脇に立っていた。その日は六日間のあいだ続いたレースの最終日で、リッチー・ポートというオーストラリア人選手が、故郷での優勝を果たすか、それとも二位に甘んじるか、という分かれ目の場面だった。
 私はこの選手が勝つのを見るためにアデレードへ来たのだ。比類ない強さを持ちながらどこか勝負どころを掴みきれない、そしてキャリアの最盛期を終えつつある三十五歳の好青年に、勝負というものが十分に報いるところが見たかった。周囲の人々も、固唾を飲んでオーロラビジョンを見守っていた。自国の選手には勝ってほしいものだ。
 と、リッチー・ポートを追うカメラに、一人の選手が映り込んだ。選手はするするとポートへ追いつき、あっという間に抜き去った。まるで一人だけ重力を免除されているみたいな速さだった。
 思わず、ああっ、と声が出た。周囲からも、オーウ、と残念そうな声が上がった。
 私はちょっと恥ずかしくなった。子どもっぽい反応をしてしまったなと思った。それに比べて、アデレードの人々は静かだった。怒声も、野次も、自国の花形選手からトップを奪い去った選手に対する苛立ちの声もなかった。ただ、残念そうな声色だけが、オーウ、と長く尾を引いていた。
 その、抑制された失望の声色には、聞き覚えがあった。どこでだろう……。考えていると、同じように暑い日の記憶が、ぼんやりと蘇った。その前年、平成から令和へ変わる境目の五月、ベトナムでのことだった。私はホテルのツアーバスで、ホイアンという街を訪れていた。

 ホイアンベトナム中部にある古い港町で、十六世紀に貿易港として栄えた。ポルトガルやスペイン、中国、日本、さまざまな国の商人たちが居ついては本国風の建物を作ったから、建築様式がぎちぎちと入り乱れている。日本風の橋も残っているし、夜になると色とりどりのランタンが灯って美しい。日本人には人気のある観光地だ。
 正直なところを言えば、私にとっては期待はずれだった。生ビールを頼めばタイガービール(これはシンガポールのビールだ)が出てくるし、生演奏で歌われるのはエド・シーランで、みやげもの屋ではシンプソンズのキャラクターがベトナム国旗を背にしている。沢木耕太郎が『一号線を北上せよ』で訪れていた料理店は、すばらしい立地と洗練された内装を持つすてきな店だったけれど、出された料理はみごとに観光客ナイズされた中華料理の味がした。まあ、当然だろう、と思った。彼が訪れてから今までの間にシェフが何人変わったかわからない。
 ランタンの流れる川に背を向け、バスの発着所まで歩いていきながら、遅すぎた、と思った。ひとつの美しい砂浜がある。それを目当てに人々が押し寄せて、お金という波で、何度も何度もその土地を洗う。比重の軽い砂は外洋へ押し流され、その波に耐えられる、ごつごつした重いものばかりが浜に残る。どんな土地も時間によって形を変える。私は遅すぎたのだ。
 発着所へたどりついて、乗るべきバスを探しあてる。まだドアが開いていないから、立って待つ。すると三人の、妙齢の女性たちがそうっと私に声をかけ、韓国人か、と英語で聞いた。日本人だ、と答えて首を振る。
 すると、彼女たちはそろって、オーウ、と残念そうな声を上げた。私はちょっとあたたかい気分になってにこっとした。国籍を開示して残念がられたのは初めてだった。
 彼女たちは私と同じ、フュージョン・スイーツというホテルに泊まっていて、このバスが本当にそこへ行くのかどうかを気にしていた。私はスマートフォンで昼のうちに撮った写真を表示した。バスのナンバープレートをさして、セイム・ナンバー、と言う。
 セイム・ナンバー、と嬉しそうに言って彼女たちはバスへ乗り込んだ。(それから運転手に「フュージョン・スイーツ?」と聞いて鬱陶しがられ、また「オーウ」と残念そうな声を上げた。そのときの運転手は、愛想がないというか、ほとんどふてくされていた。)
 バスの運転は行きと同じく乱暴で、また車内の空調はききすぎていた。窓辺をすべっていく風景を見ながら、上品なひとたちだったな、と思った。私にとっては期待はずれだったホイアンの印象へ、その三人連れの優雅で悪意のない反応が、清潔なシルクのハンカチみたいにふわりと覆いかぶさった。

 もし、と考える。
 ツアーバスの運転手に冷たくあしらわれたら、あるいは、キャリアのピークを越えつつある日本人選手の勝利が妨げられる場面を目にしたら(たとえば、ツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージを制そうとする新城幸也を、ネオプロの外国人選手が異次元的な速度で追い抜いていったら)、私は「オーウ」という悲しげな声でだけ、その場面に応えられるだろうか。
 たぶんできないだろうと思う。そこには怒りの甲高い声色や、あきらめ混じりの冷笑や、いらだたしげなため息が、混じるのではないかなという気がする。最低でもその日の夜までは難しい顔をしてぶつくさ言うだろう。リッチー・ポートが追い抜かれたときのオーストラリアの人々や、運転手につめたくあしらわれたホイアンの女性たちみたいに上品な反応は、少なくとも反射的には出てこない。
 上品さ、抑制、あるいは、諦念と受容。
 羨ましいな、と思った。その美質を私は持ち合わせていない。

 そういえば、アデレードへついて最初の夜にも、こんなことがあった。
 友人について、チャイナタウンの飲食店街を歩いていた。テーブルと椅子が歩道にまであふれ出し、人々は夜風と食事を楽しんでいた。土曜の夜だけあってどこも満員だが、店ごとに人種的住み分けがあるようで面白い。
 と、混みあった道の途中で、ちいさなトラブルの気配があった。やりとりの声を聞いていると、歩道のテーブルへついていた中国人観光客が、通りすがった人にぶつかったか何か、したようだった。声の方を目で追う。ひときわ背の高いカップルが人ごみの中へ頭を出している。どうやら女性の方が当事者だ。金髪の女性は斜め下へ向かってにこっと笑い、気にしないで、というふうに首を振った。そうして通りすぎざま、ハッピーニューイヤー、と澄んだ声で言った。
 ずいぶん抑制のきいた人だな、と思った。なにしろ今年の一月末である。武漢新型コロナウイルスが流行しているというニュースはオーストラリアでも大きく報じられていた。春節の人の移動に乗じてウイルスが広まるのではないかという懸念は、もちろんあったはずだ。シドニーの入国審査官はマスクをつけて私たちを迎えた。それなのに彼女は愛想よくふるまうことを忘れなかった。異なる文化圏の祝日に敬意を表しさえした。
 ふうん、と思いながら友人と別れてホテルへ戻った。翌日は朝早くから予定があり、急いで眠らなければならなかったが、神経だけが冴えていた。本当なら缶ビールのひとつも開けたいところだが、売っていないのでどうしようもない。シャワーを浴び、炭酸水を飲む。
 オーストラリアには、コンビニやスーパーで酒類を売る習慣がない。欲しければ店で飲むか(そこそこ高価だ)、または酒販店へ行かねばならないのだけれど、アデレードの街中には酒販店自体が少なく、休日は十七時に閉まってしまう。分厚い財布と計画的購入なしにはアルコール依存症にもなれない街なのだ。
 明かりを落としてベッドへ入り、体を起こして、炭酸水の残りを飲む。ウィスキー・グラスみたいに大きなガラスコップの中で、炭酸のはぜる音がぱちぱちと弱く起こった。白色の街明かりが泡の表面に映っては消えた。それを見ていると、欲望、という言葉が頭に浮かんだ。欲望の抑制された街。

 翌日はレース観戦用のバスツアーへ参加することにしていた。そのための早起きである。
 時間より十分ほど早く集合場所へ着くと、すでに大勢が集まっていた。それでいて、時間に厳しい人々に特有の、きびきびとした熱意は感じられなかった。水が傾斜にそって流れるように自然に列へ並び、受付を済ませ、決まったバスへ吸い込まれていく。バスへ乗り込むと、年配の参加者が多いというのもあるだろうが、車内はしずかだった。
 しずかなバスに乗ってスタート地点へ向かい、レースが始まるのを見る。それからまたバスに乗って次の観戦地点へ向かう。人々はリハーサルを済ませてきたみたいにスムーズに動いた。(レースの最終日だったから、何割かの人々はツアー慣れをしていただろうけれど、それにしても。)
 その日、リッチー・ポートはそれまでの五年をとおして守り続けたウィランガ・ヒルでの勝利を逃し(人々は「オーウ」と悲しげな声を上げた)、しかし六日間の累計で総合優勝を手にした。三十五才の好青年に、レースはきちんと報いた。

 そのレースはオーストラリアン・デイという祝日にあてて開催されており、レース最終日にあたる土曜日、アデレードにはお祭りの空気があふれていた。さまざまな民族衣装や、スケーター・クラブの揃いのポロシャツや、ディズニーキャラクターの衣装を着た実に思い思いのグループが、目抜き通りから北へ向かってゆっくりとパレードを始めた。街の北には運河があり、広大な芝生や野外ステージをそなえた公園が、運河をとりまくように広がっていた。人々はレジャーシートを広げてピクニックを楽しみ、晴天の下、長いパレードを続けてきた人々を、屋台のスナックをかじりながら見守った。夜には花火が上がり、大掛かりなライブイベントもあった。
 ライブイベントを見物すると、ステージの前で踊っているのは、おそらくほとんどがティーンエイジャーだった。ステージから遠い場所へ陣取った人々は、まるでちょっと密集したピクニックですとでも言うように、行儀よく芝生へ座っている。若者たちに混じって花火を眺めながらちょっと恥ずかしい気分になった。この街ではしゃいでいるのは子どもだけなのかもしれなかった。

 それでは、大人たちは、欲望をどこへやったのだろう。
 シドニーに移動したあと、金曜の夜に街へ出た。と言っても一人旅だから、見学、というくらいのことにおさめておいた。
 夜半、ベンチに座ってトラムを待ちながら、眺めてきた風景をぼんやりと思い起こした。クラブの列へ並んでいるのも、ホテルという名の酒場から吐き出されてくるのも、二十歳そこそこの若者ばかりのように見えた。銀座コリドー街に通勤用スーツが溢れているさまとは、どうも似ても似つかない。
 向かいのベンチには高校生くらいに見える三人連れが座っており、真剣な顔つきで何かを話し合っていた。混雑したマクドナルドの前を、みごとに酔っ払った若い女性が走り去っていった。彼女は裸足で、両手に自分の靴を下げていた。
 駅のまわりにはいくつかの集合住宅があって、ほとんどの窓が暗く寝静まっていた。明かりの消えた窓の奥で、大人たちはもう眠っているのだろうか。酒を飲んで騒ぐことや、音楽に合わせて踊ることや、気に入らない事態に対して不満を露わにすることは、もうきれいに諦めてしまったのだろうか。私は黒い窓を羨ましく見上げた。三十路へ踏みいってずいぶん経つのに、私は未だに、自分の欲望を手放せずにいる。星のたくさんついたホテルに泊まること、シャンパンのフリーフロー、長いこと抱え込んでいる見込みのない恋愛。それを追ったところで実りのないことは分かっているのに……。
 頭上には明かりのない窓が並んでいる。窓ガラスの向こうは、おだやかに静まり返っている。

 ……この世界にもし未来ってものがあるなら、それは禁欲的な未来だろう。
 この人たちはそのラインをうまく辿っているのだ、と私は感じた。抑制のきいた、夜には缶ビールひとつ買うことのできない、穏やかでパンクチュアルな街に、諦念と受容とを心得た人々が住んでいる。
 それを成熟と呼ぶのは飛躍かもしれない。あるいは、自分が成熟していないものだから、そうと認めるのが気に入らないだけかもしれない。しかし、望もうと望むまいと、その方向へ押し流されている最中である。世界は感染症の陰に入り、倫理は変形を始めている。あのとき私が成熟と見たものは、今や適応と同じ形をしている。

 夜半、駅のベンチに座って、一人トラムを待っている。まわりでは若者たちが騒いでおり、家々の窓は暗く寝静まっている。
 おだやかな眠りの中にいる人々に向かって、心の中で呼びかける。ねえ、あなたたちはどうやって、欲望を諦めたのですか。その方法を教えてはくれませんか。……真夜中、本数の少なくなったトラムが、駅へすべりこんでくる。煌々と光のともった車内に、人の姿は少ない。

 

 

 

ツアー・ダウンアンダーに行くためにしたこと、買ったものまとめ

 

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ツアー・ダウンアンダーに行ってきました。

 と同時に、海外旅行準備用のすることリストが出来上がってきたので(旅欲の爆発により今年度は4度の旅立ちを迎えました)、そのまとめも兼ねています。how to 観戦 TDUであり、how to 旅(主に節約のtips)でもあります。

 比較的有用と思われるtipsを青く囲っています。

 みなさまの旅のご参考になれば幸いです。 

◎実際、いくらかかったか

 今回(7泊9日)は、全部で34万円でした。早めに準備したり、同行者と部屋をシェアすれば、20-25万円までは楽に圧縮できると思います。
 

◎ ◎ ◎ 前半:事前に払ったお金  ◎ ◎ ◎


1. 航空券 16.0万円
 - カンタス航空、エコノミー、羽田-シドニー-アデレード-シドニー-羽田。

  •  たっっっっっけ~~~~~~~の……!
    買うのが遅かった(1ヶ月前)+休みの都合で金曜夜発がマストだった+TDUがAustralian Dayというオーストラリアの祝日に当てたイベントであり=ラリア人の里帰り需要と一致+かつ中国の春節スタートとも一致 という状況がありました。
    これでも丸1ヶ月ウォッチして18.3万からちみちみと下げたのですが、悔いの残る金額です。早めに買えば9-12万円くらいにはできると思います。。
    でもいいの、リッチーポートが勝つところにいられたのだから……

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機内でNTT Pro CyclingのCMも見られました。

 

  • 早めにウォッチを開始する。skyscannerとsurpriseを使う。
    航空券は販売開始時点で全ての在庫を出すのでなく、ちょっとずつオープンされている気がします。希望を捨てない。
  • ちなみに、オーストラリア行きのフライトに乗るためには「ETA」の登録が必要です。通常AUD20ですが、旅行会社や航空会社の端末から手続きすると実費が無料。勤めている友達に頼むとタダでやってくれる可能性あり。


2. ホテル 9.5万円
 - Avani Adelaide Residences 3泊3.8万円
 - Meriton Suites Campbell St. 4泊5.7万円

  • 4-5ツ星クラスでキッチンついてるとこ、という基準で選びました。いざというとき親身に助けてくれるから、という大義名分をふりかざして良いホテルを予約。ちなみに1室あたり料金なので、2人でシェアすれば半額になる。
    お部屋に洗濯・乾燥機がついているところを選ぶと持っていく服を減らせるというライフハックがあります。
  • Avani Adelaide Residencesは独立ベッドルームに立派なキッチンとバルコニーがついててすてきだったけど、もっと中心部に取ればよかったな〜。コンパクトシティなので徒歩10分でも「けっこうある!」って感じがします。
    土日はスーパーが17時に閉まるので、土曜日着で食材を買いたい場合は10分が貴重。
  • Meriton Suites Campbell St.はキャピトルシアターの向かいです。Central StationとトラムのChinatown近く。
    Darling Harbourで夜景を見るにもSurry Hillsでビールを飲むにも徒歩15分、Circular Quayまでもトラムで楽々。坂がちな街なので、駅チカが是でした。

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    シドニーの宿。
  • ①tripadvisorで検索、最安値を確認
    ②さらにクレカ優待のディスカウントコードを重ねがけできるかトライ
     (お持ちのカードの優待情報を見てみてください。だいたいあるはず)
    ③ホテル公式もチェック。Best Rate Guarantee(オンライン最安値保証)の場合があります。
    ④キャンセル料不要レートで確保、その後もちくちくと確認。
    →①~④により、今回はトータル1.5万円くらい安くなりました。
    • ※とは言え、小細工なし・ホテル公式ダイレクト予約の方が、よいお部屋に通してもらえる確率は上がります。オマケ(レイトチェックアウト、WiFi、飲み物のチケットなど)がつく場合もあり。差額がそれほどでもなければまず直予約をお勧めします。ケチケチにケチると、低層階やエレベータの脇になりがちでふね。


3. カメラレンタル 1.7万円

 - RentioでSONY α6400 ズームレンズキットを借りました。

  • 一眼がこわれていたので+ミラーレス一眼を試してみたくて借りました。これは他の人にはいらない出費ですね。往復送料無料。最近は旅行どきにしか一眼を持ち出さないので、年5万円で最新機種使い放題と思ったらいいよなーと思いました。
    しかし、レンズキット14万くらいするカメラなので、私の単価だと15回は貸さないと利益が出てこないじゃん……?と心配になってしまいました。なんらかの盲点があるのだろうか。
  • ぐぐるとディスカウントコードが出ることあり。

4.WiFiと保険 7,500円
 - WiFi グローバルデータ オーストラリア 1GB/day 空港受取/返却 3,320円

  • 価格.comを通す。めちゃくちゃ安くなります。笑っちゃう。
    空港ロッカー受取すご〜〜〜い便利なのでグローバルデータ一択です。列なしサインなし本人確認なし。最高。SIMでももちろん良いのですが、コンセント用のアダプターがついてくるのが便利でのう。

 - 海外旅行保険 4,060円
  - ソニー損保。保険内容のカスタマイズが手軽で、旅行キャンセル/中断費用の特約がつけられるので毎回ここ。

  • めちゃくちゃめんどくさいけど、お持ちのクレカに付帯している海外旅行保険の内容を整理してメモっておくとまじのまじで役に立ちます。クレカで手厚くついてる部分(例えば障害死亡/後遺症、携行品損害)は削れる。
  • 私は治療・救援、個人賠償責任をMAXでかけます。かつキャンセル/中断費用を10万ずつ。
  • それから、保険証券は家族など、面倒を見てくれそうな人への転送をお忘れなくです。万一の場合に家族を金銭的な負担から守ることができます。bodyを海外から日本へ送るの、けっこう高額と聞きます。。私は喋れん状態だったとき用に、財布に英文の保険証券と緊急連絡先を入れています。


5. TDU観戦ツアーのバス料金 5,000円

  • ウィランガヒルまで送迎してくれるやつ。バスガイドさんつき。けっこう高いけど、乗りたい人は躊躇なく払うんだから、日本のレースもこれくらい取っていいよなあ。
  • 広大なぶどう畑や、家の前へ椅子とパラソルを出して観戦するみなさんを車窓に見、ああっ、私は今、中継で見ていた場所にいるぞ……! と早々に感極まってしまいました。
  • バス車内の雰囲気が完全に「プロ観戦者の集い」でニコニコしちゃった。もっと英語ができたらなあ。

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広大!

 

◎ ◎ ◎ 後半:行ってから払ったお金  ◎ ◎ ◎


 総じて、クレカで払う is greatです。なんでもかんでも(移動アイスクリーム販売車ですら)クレカが使えるし、チップの風習が薄いので、現金の出番がありません。感激したときのチップ用に2,000円くらい替えていけば十分な気がする。新しいAUD2のコインは中心の模様が緑色にびかびか光ってかっこいい、パブで現金をぴったり出すとかっこいい、などのメリットはありますが……
 強いて言えば、日本では羽田空港の出国後エリアの両替所、オーストラリアではシドニーのChinatown近くの両替所が一番安かったです。

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Chinatown近くの両替所。TTMレートが73円くらいの日に。
よく見ると日付と時間がむちゃくちゃだ。。手数料別途。


1. 交通費 5,300円

 - メトロカードAUD20+オパールカードAUD50

  • アデレード空港-市内はタクシーだとAUD20くらいとのこと。バスだとAUD3.5くらいだったので、バスに乗りました。車内が広いのでスーツケース持ち込んでもあんまり罪悪感ないです。バス乗り場にメトロカード販売機あり。
    バス乗り場、空港のけっこう外れ(でかい屋根のないとこ)です。乗り場を探すのが一番むずかしかった。
  • オーストラリアのバスやトラム、Google Mapsとの連携がすばらしく、遅延/早着がリアルタイムで表示されます! ホテルを出る時間を調節できて、超〜いい。
  • 大きな声では言えませんが、オパールカードの裏技乗り捨てテク、2020年2月にも有効でした。

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Google Mapsとの連携。こんな感じ。



2. おみやげ 14,000円

  • おみやげを買う場所として、シドニーのFish Market併設のおみやげやさん、安くはないけど欲しいものがいっぱいありました。安さならPaddy's Market。
  • Tim Tamの個包装タイプ、会社のおみやげに最適。
  • TWININGSのAustralian Afternoonという紅茶、安い上に(10包入りAUD1)パッケージがカンガルーで、う〜んナイスおみやげ! と思いました。紙箱だからちょっとかさばるけど。
  • 「T2」という高級紅茶屋さんがあります、手嶋クラスタの方へ。

3. 外食費 13,000円

  • オーストラリアのパブには平日16-18時をコアにハッピーアワーを設定しているところが多く、旅行者特権で、まいにちハッピーアワーをしました。女性の一人飲みは私の他に見ませんでしたが、危ない感じはぜんぜんなし。
  • Little CreaturesっていうブリュワリーのIPA、おいしかった! 今回の滞在イチ。

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まいにちハッピーアワーの様子。

4. 自炊費 12,000円

  • 朝・夜は自炊、昼は外で食べてこんな感じ。
  • クラフトビール成城石井的なお値段ですが、ワインは西友価格。
    ※オーストラリアではスーパーでお酒を売っていません。専門の酒販店に行きます。
    アデレードでルームサービスに頼らないin-room-beerをしたい方は、Rundle MallのWoolworthsに行ってください。土日は17時までです(※2020年2月現在)
  • ルッコラが大袋でAUD2、苺が1パックAUD3で、そりゃ〜もうたらふく食べましたが、シドニー滞在終盤でPaddy's Marketの方がさらに3 割安いということを知ってくずおれました。

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自炊の様子。May the beer be with you.


5. 書籍費 4,300円

  • ペーパーバック3冊、自転車の雑誌1冊。
    丸善で洋書の値段を見るたび、あ〜〜もっと買ってくればよかった……と思います。

6. 入場料 6,300円
 - Sydney Contemporary Art Museum 1,800円
 - SEA LIFE Sydney Aquarium 4,500円/入場料とVRのアトラクション。

  • SEA LIFE Sydney Aquariumは前日までに買うだけで20%offです……!
    優待の権利を持っている人?から安く転売してもらうシステムもあるみたい。私は事前準備を忘れたので、ペンギンたちのために多めに課金をしました。

 

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換毛期の愛らしさよ

 

 お役に立つところはございましたでしょうかのう。
 以上です。

 

 

 

 

ロードバイクのサドルはながく伸ばした舌に似ている

 


 2018年のツール・ド・おきなわを制したのは、34才のイタリア人、アラン・マランゴーニだった。そのレースを最後に彼は引退した。彼にとって、2009年のプロデビュー以来初めての勝利だった。

 驚嘆、感激、マランゴ先輩おめでとうの言葉がSNS上を乱舞した。秋、レースシーズンの終わり、南の島で勝利の女神を射止めた男に、惜しみない祝福が浴びせられた。

 そうか、マランゴーニは勝ったのか。勝って選手生活を終えたのか……。ライスシャワーのように乱れとぶ賛辞を目で追いながら、私はある選手のことを思い返した。

 オスカル・プジョル

 マランゴーニと同じ2018年に、35才で引退したスペイン人選手である。レーシングドライバー片山右京ひきいるチームでキャリア最後の4年間を過ごした。強い選手だ。日本では、2016年と2017年、ツアー・オブ・ジャパンという大きなレースを連覇している。

 彼の引退レースは沖縄のはるか北、宇都宮で行われるジャパンカップサイクルロードレースで、マランゴーニよりもちょうど3週間早かった。彼はそのレースを、DNF、という戦績で終えた。Do Not Finish、途中棄権、である。最後の花道を飾るには、そっけない3文字だ。

 

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プジョル選手である(写真左、緑の服)。かわいいおひとじゃろう。

 

 日本における自転車競技は、本場西欧とくらべると、アンバランスな発展をとげている。短距離トラック走には競輪という大舞台があり、他国に類をみない厚い選手層をはぐくんでいるが、他方、アップダウンのある生活路を長く走る競技については、プロスポーツとして成立していることを知らない日本人の方が多いだろう。後者に属するツール・ド・フランスが観客1000万人を動員するビッグイベントであるのに対し、日本における自転車レースは、まだ発展途上にある。

 だから、と言うべきか、この国でNBA級のチームを呼んで催されるレースは限られている。まずは5月のツアー・オブ・ジャパン。そして10月のジャパンカップサイクルロードレース

 個人的な話で恐縮だが、2016年のツアー・オブ・ジャパンで、私はプロスポーツとしての自転車レースを知った。

 競技用の自転車を間近で目にするのもそのときが初めてだった。サドルは中綿やクッションなどという甘えを排した、かたい、むき出しの素材でできていた。軽量化のためか、それとも通気性を目的としてか、中心にひとすじのくぼみが通っている。

 それはかたく伸ばした舌の形に似ていた。怪物の舌へ尻を乗せているようだな、と思った。今にも食われそうで、食われまいとして、物凄い速度で走るのだ。

 

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フランス語で自転車は「ベロ」だし。

 ツアー・オブ・ジャパンは8日間にわたって行われるレースだ。前日までの累計でいちばん優勝に近いタイムを持つ選手は、リーダージャージと呼ばれる特別のユニフォームを身につける。7日目の伊豆ステージ、リーダージャージを着たオスカル・プジョルが、何人ものライバル選手たちを引き連れ、目を剥き、歯をくいしばり、全力で走っていた。

 あとから分かったことだが、私の初めて見たレースは、いきなりセオリーを踏みはずしていた。

 競輪をご覧になる方ならご存知かと思うけれど、自転車レースにおいては、先頭で風を切る選手の負担がいちばん重い。仮にまったく同じ力量の選手が2人いて、前後のポジションを固定したままずっと一列で走るとすれば、最後にはまちがいなく後方の選手が勝つ。彼は空気抵抗と戦わなくてよく、体力を温存できているからだ。フィニッシュライン近くで加速し、疲れはてた相方を置きざりに勝利をおさめて終わりである。

 なんだかずるいように聞こえるが、空気抵抗という見えない敵をいったい誰が倒すのか、というのは、自転車レースにおける重要な戦術のひとつだ。大人数で交代しながら空気抵抗を分担すれば一人で走るより格段に速い。みんなで協力すれば、たった一人の強力な選手に、チームの力で打ち克つことができるのだ。うつくしいアイデアである。逆を言えば、ひとり孤独に先頭を走れば、他選手よりも早く消耗するという点においてハンデを背負う。

 にもかかわらず、2016年のツアー・オブ・ジャパン7日目、プジョルはいちばん前を走っていた。チャーミングなひげを土埃と汗に濡らし、全身全霊の力を振りしぼってペダルをまわしていた。前日までの累計で2位につけるマルコス・ガルシアにリードをゆるしていたからだ。タイム差の1分5秒をひっくり返されれば、優勝が彼の手からこぼれ落ちる。

 

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チャーミングなおひげ。

 本来ならチームメイトを前に立て、空気抵抗を減らして走りたい場面だが、間の悪いことに早い時点ではぐれてしまっていた。チームメイトを待って合流するか。いや、その間に致命的なタイム差がつきかねない。彼は一人でガルシアを追う。他チームの選手たちが彼の後ろへぴったりとはりつく。プジョルがガルシアを追わねばならないのは自明だ。

 プジョルは173cm58kg、山向きの、細身の選手である。自転車で急勾配をのぼるとき、軽い体重は有利にはたらく。反対に、平坦路ではぎっしり筋肉をつめこんだ重量級の選手が強い。翌日の最終レースは日比谷から品川区の大井埠頭まで、関東平野中の関東平野弩級の平坦を予定していた。もともと前日の富士山、壁のような登りを使ってかせいだタイム差だ。今日その差を詰められれば、翌日に取り返すことは難しい。

 彼は背後の味方でない選手たちに塩を送りながら、先頭の一番きついポジションでもがき続けた。地獄のようなレースだった、とは、彼自身のコメントである。

 その戦いぶりは初めてレースを見る私の目にもすさまじかった。大きく目をむき、鼻のつけねへぎりぎりとしわを寄せたプジョルが、ほんの一瞬、疾風のごとくに目の前を通り過ぎていった。

 彼はその日、1分5秒のタイム差を守った。守りきった。ひとり空気抵抗にあらがう不利を、力量でねじふせてみせた。

 翌日のレース最終日、スタート時の6人からもはや2人にまで減ったチームを率い、オスカル・プジョルは勝った。平坦を得意とする重量級の選手たちが、その日の勝利を目当てにハイスピードでぶち上がった。その流れをうまく利用した。プジョルは集団の中で理想的な位置につき、タイム差をキープして、総合優勝のリザルトをみごと手中にした。

 表彰台の上でシャンパンファイトを楽しむ彼は晴れやかな笑みを浮かべていて、前日の伊豆で見せた不動明王もかくやという形相が嘘のように感じられた。表彰式が終わると、彼は観客のいるあたりを一人でひょいひょいと歩いており(こういう場面の発生するプロスポーツって他にあるだろうか?)、驚きながらも手をふると、あかるい笑顔を浮かべ、ありがとー、と手を振りかえした。

 思わず目を奪われた。プジョルという一人の選手をとおして、自転車レースそのものがこちらへ微笑みかけてくれたような気がした。私がレースを追うようになった、きっかけの出来事だ。

 

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どうでもいいことだけど、前日のイメージが頭にこびりついており、「オスカルプジョル」という声がたびたび「お疲れプジョル」と聞こえた。

  2018年、プジョルは奮わない。レースには出場するものの、戦績にはときおり3桁にとどく平凡な数字や、あるいはDNFの3文字が並んでいる。前年まで連覇していたツアー・オブ・ジャパンには出場すらしなかった。彼は膝に故障をかかえていた。

 その年、プジョルは引退を決めた。10月21日のジャパンカップサイクルロードレースがその舞台にさだめられた。彼が過去ジャパンカップでおさめた最高順位は、2016年の5位だ。好調の年に5位。今年、華々しく優勝をおさめるというわけには行かないだろうなと、私には思われた。

 レースの日はすばらしい快晴だった。朝晩こそ10度弱と冷えこんだが、市内では最高気温が22度に達した。ジャパンカップは歩いて登っても息がきれるような山道で争われる。選手たちには暑すぎるくらいだろう。

 レース序盤からプジョルは前へ出た。3人の小集団をつくり、他の選手たちを大きくリードした。小集団のメンバーはプジョル、今一度のマルコス・ガルシア、そしてクーン・バウマンの3人だった。

 バウマンは当時24才のオランダ人選手である。ジロデイタリアをはじめ、大きなレースに度々出場する若く有望な選手で、プジョルやガルシアのように、ふだん日本で走ってはいない。この3人の中では、実力で頭ひとつ抜けている印象だ。

 

 自転車レースには最速でフィニッシュラインを割る「優勝」のほか、スプリント賞、山岳賞、という別枠の勝利がある。コース上、フィニッシュラインとは違う位置に、スプリントポイント、山岳ポイントというラインがいくつか設定されていて、そのラインを早い順位で通過した選手に点数が加算される。レースが終わったとき、スプリント、山岳の各点数をいちばん多く持っている選手が表彰台に上がる。レースレポートにも大きく名前が残る。

 ジャパンカップは10kmほどの環状コースを14周するレースで、山岳ポイントはそのうち 4つの周回に設定されていた。山岳賞のルールとしては珍しく、周回のうち一度でもトップでラインを割れば表彰台に上がることができる。累計でトップの選手だけが表彰される他のレースに比べれば、チャンスは最大4倍だ。

 プジョルの狙いはこれだろう、と思われた。

 

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これをああしてこうするのだろうと思われた。

  小集団で走ると、空気抵抗の分担が大きくなるぶん、体力を消耗する。

 しかし、もしも最後まで後方の選手たちを寄せつけなければ、優勝争いの分母はケタ違いに小さくなる。いずれは集団に追い抜かれるとしても、中途のスプリントポイント、山岳ポイントは彼らのものだ。先頭の小集団は、異なるチームの選手たちで構成されていても、一時的に共通の利害を持つ。

 だから、小集団の中で紳士的に戦績を分け合うこともある。スプリントポイントが2カ所あれば、1回目は私、2回目はあなた、というふうに。

 マランゴーニやプジョルの引退年齢が30代なかばであることからもわかるとおり、自転車レースは選手生命の長いスポーツだ。レース中には空気抵抗という共通の敵を相手にチームメンバー以外とも連帯するし、チーム間での選手の移籍も激しい。誰ともうまくやっていかないと、いざというとき足元をすくわれる。自転車レースには忖度がある。それはいつか勝つための方策だ。

 

 さて、ジャパンカップには4回の山岳ポイントが設定されている。最後の1回はレースが佳境に入っているタイミングだから、さすがに総合優勝狙いの面々にゆずらざるを得ないだろう。残り3回。対し、小集団はプジョル、ガルシア、バウマンの3人。数は合っている。

 私は幾分ほっとしてレースを見守った。3回目の山岳ポイントまでを3人でしのぎきれば、全員で表彰台に上がることができるだろう。1回目の山岳ポイントをガルシアが。2回目をバウマンが取った。さすがにずいぶん苦しげだが、後方の選手たちとはまだ距離がある。あとは最後の1回をプジョルがとるだけだ。私はスマートフォンで中継を見ながらそのときを待ちわびた。彼の最後の表彰台をこの目に焼きつけようと、表彰式の行われる地点へ移動する算段を始めていた。

 バウマンが山岳ポイントを取った。

 えっ、と声が出た。

 彼はそのまま加速し、プジョルとガルシアを置きざりに独走を始めた。

 その瞬間、プジョルが表彰台に上がる可能性はついえた。4度目の山岳ポイントは最終局面にそなえて力をためてきた選手たちが取るだろう。ジャパンカップは、NBA級のチームから選手が送りこまれる大きなレースだ。消耗しきり、また故障をかかえたプジョルが優勝に絡むことは、残念ながらむずかしい。

 歓声の波が、沿道をつたって近づいてくる。

 中継から目を上げると、選手たちの一団が目の前を通り過ぎていった。私はプジョルを目で探した。いない。見落としただろうか。プジョルのゼッケンナンバーは……。

 彼は集団の後ろ、勝利にはもう絡むべくもない場所を、チームメイトに守られることもなく、独りで走っていた。沿道から声がかかるとにこやかに手を振り、ハイタッチを返すこともあった。勝利ではない何かを、ゆっくりと拾い集めているようにも見えた。

 プジョルはそのあとリタイアした。彼の選手生活は、DNF、の3文字で締めくくられた。

 

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ジャパンカップのコースは徒歩でもけっこうきつく、自転車で登れるのよくわからない。

 今になって考えれば、バウマンは、ジャパンカップの山岳賞ルールを誤解していたのかもしれない。最大4人が表彰台に上がる山岳賞なんて珍しいルールだ。ふだん日本で走っていない彼が、プジョルが引退を控えていることを知らなくても無理はない。レースには120人からが出場している。たった2日、ハイスピードでペダルをまわしながら、全員の事情を把握することはできない。そもそも、スポーツだ。持てる全力を尽くすことを誰が責められるだろう。

 自身の引退レースを初勝利で飾る、とまではいかなくても、自分で去りぎわを決められるなら、選手としては幸福な部類だとも聞く。チームからスポンサーが手を引き、あるいは契約を切られ、練習中に怪我を負い、ほとんど引きずり出されるようにして、多くの選手たちが不本意にレースから追い出される。 

 しかし、ジャパンカップで山岳賞をとって表彰台にのぼる、というのは、オスカル・プジョルという選手のキャリアに比して、決して贅沢な願いではなかったように思われる。怪我を押して古賀志の山を登り、たった3人きりの小集団で力を振りしぼり、3回目の山岳ポイントまで望みをつなぎ、しかし。そして。

 そのときのことを思い返すと、まちがったパラレルワールドへすべり落ちてしまったような気がする。もとの世界で、プジョルは1回目の山岳ポイントを獲り、そして満足のいく順位でレースを終えている。早めに山岳賞を決めた彼は、勝負が始まるまでの周回を集団の中でじっくりと力をため、そしてベテランの嗅覚でもって勝負どころをものにしたのだ。最後にはまっさらな山岳賞ジャージを着て表彰台へのぼる。ファンの声援へ、花束をふって応える。そういう過去が、どこかへしっかりと存在しているように思える。

 すべり落ちてしまったパラレルワールドにも5月は来る。今年もまたツアー・オブ・ジャパンが始まり、レースは進んでいく。私にとってはオスカル・プジョルと分かちがたく結びつけられたレースだ。

 選手たちは競技用自転車のサドルへまたがって出走を待つ。かたく長く伸ばした舌のようなサドル。獲物をもとめて伸ばされた舌の上へ座り、背水の陣をしく。大口をあけた怪物に食われまいと、物凄い速度で走る。それはゆっくりと近づいてくる。遠ざけるには、ただ勝つしかない。

 
 引退したプジョルは、スペイン語圏の自転車番組に出演しているそうだ。試しに検索してみるとyoutubeの動画がひっかかる。画面に映るプジョルは、日本で所属していたチームのジャージを上から下までばっちり着こんでいた(いいのか?)。少し高めのあたたかな声といい、チャーミングなカイゼル髭といい、少しも変わっていないように見えた。

 番組の中で彼は台湾を訪れ、軽い足取りでサドルへまたがった。そして脚に力をこめ、息を切らしながら、実に楽しげに山を登っていった。

 

 

 

お世話になりました;

170kmを逃げ切ったアラン・マランゴーニが「カンペキ」な勝利 - ツール・ド・おきなわ2018 国際レース詳報 | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/282301

NIPPOのマランゴーニが最後独走で優勝 ツール・ド・おきなわ男子チャンピオンレース - cyclist https://cyclist.sanspo.com/437075

個人総合順位がシャッフル オスカル・プジョルが富士山ステージを制して総合リーダーに - ツアー・オブ・ジャパン2016第6ステージ富士山 | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/201166

新城幸也 復活の狼煙  総合リーダーはプジョルが死守 - ツアー・オブ・ジャパン2016第7ステージ伊豆 | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/201267

オスカル・プジョルが総合優勝 異例の逃げ切りでサム・クロームがステージ勝利 - ツアー・オブ・ジャパン2016第8ステージ東京 | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/201315

接戦のマッチスプリントはパワーに軍配 ワールドチームを従え、存在感を示した宇都宮ブリッツェン - cyclist https://cyclist.sanspo.com/431863

古賀志で抜け出した2名の一騎打ち ロットのチームプレイを崩した23歳パワーが初優勝 - ジャパンカップ2018ロードレース | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/280086

Pro Cycling Stats
https://www.procyclingstats.com/



 

 

旅の記録(イタリア、コモ、コーヒー)

 


 イタリアでは、コーヒーが美味しかった。

 

 誤解しないでほしい。コーヒー以外にも、もちろん美味しいものはたくさんあった。十月の初めはポルチーニ茸の旬だし、ワインは気兼ねのない値段で美味しいものがたっぷり飲める。肉厚で味の濃いトマトをアンチョビやオリーブと一緒にサラダで食べ、茸のうまみをふくふくと染みこませたチーズリゾットを食べ、嘘のようにやわらかな白身魚フリットを食べ、ふと目をあげると、夜闇、大聖堂を背に、青く光るおもちゃが高々と打ち上げられては落ちてくる。観光地でよく売られているあれだ。打ち上げられるときには空気を切って、花火に似た音を立てる。その光を目で追いながらプロセッコを飲む。細かな泡がまっすぐな列を作る。おもちゃの青い光。つやつやとしたプロセッコの泡。こうして思い出しても陶然とするけれど、コーヒーの美味しさは、なんとなく別のところにあるものだった。

 

 コモ湖はミラノの北にあって、人、という字にそっくりの形をしている。この漢字を持たない人たちはさぞ表現に困るだろうといらぬ心配をしてしまうほどだ。そして、人、という字の一画目が終わるところにコモという街がある。湖畔の高級リゾート地で、今年はイル・ロンバルディアという自転車レースのゴール地点に選ばれていた。(箱根駅伝と違って、自転車のレースは毎年コースが変わる。)そのレースが私たちの目当てだった。
 コモではパレスホテル(http://www.palacehotel.it/)に泊まった。外観も内装も美しくて格式の高いホテルだが、ツインルームをシェアしたから、一人あたりの値段は東京でアパホテルあたりに泊まるのと大差なかった。
 ※もちろん恋人同士でないならシングルルームを二つ取るのがセオリーだろうが、もともと高校からの友人で私たちの方には抵抗がない。セミダブルという名のシングルベッドに二人で寝たこともある。部屋でのことを明らかにしなければならないわけでもなし、ホテルの方には「そうかあ」と思ってもらえばいいだろう、と考えたのである。

 

 朝食会場のレストランに行くと、部屋番号を聞かれもせずテーブルに通される。二十代の女二人だからまあ、邪魔にならないところに配置されるのだが、面白いもので、一日ごとにいいテーブルへ案内されるようになる。一泊ではもったいないホテルだなと思う。
 この朝食が格別だった。クロワッサンからハードブレッドまですばらしい味で、もちろん薄いトーストをかりっと焼くこともできる。日替わりのタルトが数種類。生ハムやターキー・ブレストに各種のチーズ。リコッタチーズはケーキのような形のまま足つきの皿に置かれていて、たっぷりどうぞと言わんばかりに大きなナイフが添えてあった。真新しいルッコラは香り高く舌に柔らかで、イタリアという土地の懐深さを知る気がした。
 もりもりと食べ進み、ようやく人心地ついたところで、銀色のポットがぽんとテーブルへ置かれているのに気がついた。いつの間にかコーヒーが運ばれていたのだ。そういえば、「Coffee or tea?」と聞かれて、居並ぶジャム・サーバーに半ば目を奪われながら「Coffee, please」と答えた記憶がある。コーヒーカップをソーサーの上へ置きなおして注ぐ。運ばれてきて二十分は経つはずだが、はっきりと湯気が立った。
 そのコーヒーが強烈に美味しかった。瀟洒なレストランの落ち着かない場所で私はハッと目を見ひらいた。場違いな舞踏会の合間、才気換発を絵に描いたようなご令嬢に目を奪われた気分だった。天井から下がるシャンデリアにも、壁をとりかこむ巨大な絵画たちにも決して気後れせず、その才と機転とで堂々とわたりあっている。観客としては実にすかっとする光景である。気持ちのいい苦味が香りを際立たせ、飲み込むと、バターのような舌触りが後にのこった。私たちは顔を見合わせておいしい、おいしいと言いあった。
 何をいつまでにと決める旅でもない。私たちは気が済むまでコーヒーの香りを楽しんだ。注ぎおわってしまうとさみしい気もして、それがまた嬉しかった。ランチの後にあわただしく流しこむコーヒーや、糖分とカフェインをとるために自動販売機で買う缶コーヒーとは、なんというか、根本的に違うものだった。
 私はそのコーヒーを介してコモという街にいっぺんに恋に落ちた。まったくの盲目に陥り、他の選択肢は目に入らなくなった。滞在中、「Tea, please」は一度も出番がなかった。今思えば惜しいことをしたと思う。

 

 ある夜、カフェへ足を運んだ。まだ日の長い頃で薄明るいが、時計は夕食の時間にさしかかっている。書き入れどきにコーヒーで席を占めてしまうのも迷惑かと思い、ディナーでなくティーだけでもよいか、と尋ねると、カフェのスタッフは馬鹿馬鹿しそうに肩をすくめ、「メニューに載っているもの、どれでも好きなのを頼んだらいいさ」と答えた。そんなものか、と私も肩をすくめて窓際の席へ座った。友人は仕事を始め、私は本を開いた。
 昼間ならば湖の見える席だったろうが、あかるい店の中から見る日暮れの景色は空も湖面も一様に真っ暗だ。店から漏れる明かりが人々をスポットライトのように照らしていた。粘度のある暗がりから人の形がぽっと浮かび、通りすぎて、また暗がりに沈みこんでいく。……カプチーノの泡に唇をひたす。泡に隠されていた黒色が、香ばしいにおいと共に口のなかへ流れこむ。
 背のたかいスタッフが隣の席を片付け始めた。彼は機嫌よさそうに歌いながらテーブルクロスを剥ぎ、パン屑ごとくるくると丸めてカウンターに置いた。新しいクロスを取り出し、折りあとも鮮やかなままばさりとかける。それで終わりだった。私たちが店を出るまで、丸めたクロスは新種のデニッシュみたいに堂々とカウンターの上を占拠していた。
 考えてみれば、ディナー・タイムに単価の高いものを、というのは経営者の理屈である。働き手からしてみれば、手数のかからないコーヒーや簡単な茶菓子で行儀よく過ごす客の方が楽にちがいない。それで店が潰れたところで彼の知ったことではないのだろう。何度か面接を受ける手間はかかるかもしれないが、毎日を慌ただしい仕事に明け暮れるよりは、その方がましに思える。また似たような店へ勤めなおして、好きな曲がかかればハミングして、パン屑はクロスの中へ丸め込んで、あとはたぶん、誰かがどうにかするのだろう。彼の背中を見ていると、私は日本での仕事を考え直したくなった。
 フェアでない気がするのでつけくわえておくと、カプチーノはごくふつうの味だった。

 

 コモで過ごす最後の朝は、目当てにしていた自転車レースの翌日だった。朝食をとるためにレストランへ向かうと、廊下へ並べられた新聞に優勝者の写真が出ていた。そのレースを勝ったのは、ニーバリ、というイタリア人だった。見事な勝利だった。コモへ向かう下り道で圧倒的な強さを発揮し、彼の後ろについたフランス人選手をぐんぐんと引き離した。イタリア語はちっとも読めないが、昨日の興奮がよみがえって、思わず目を奪われる。
 と、新聞の横に、「coffee to go」というプレートが置かれているのに気付いた。昨日までもあったのだろうが、新聞に興味がなかったから気がつかなかったのだ。私の心は逸った。あのとびきりおいしいコーヒーを手に最後の散歩をしたら素敵だろうと思ったのだ。連日何時間も歩きまわって、体はたぶん疲れていたのだが、この素敵なホテルで過ごす時間すら惜しいほど、はなれがたい街だった。
 まずは朝食、とレストランへ入ると、滞在中で一番いいテーブルに通された。スタッフは私たちの顔をちらりと見て「コーヒーでしょ?」と言った。もちろんだ。友人が皿を手にビュッフェ・テーブルの前へ立っていると、別なスタッフが隣に寄っていき、彼女の皿にリコッタチーズの小山を築いた。(ほら。まず一切れ。もっと食べるでしょ、食べるよね? もう一切れだ。どう?)こういう経験は今までどのホテルでもしたことがなかった。会話らしい会話もしないのに、日を追うごとに距離が近づいていく、なんていう経験は。
 昨日までは尻込みしていたタルトも勢いこんで盛り、たっぷりした皿をテーブルへ置くと、隣の席、ご夫婦の二人連れが目に入った。大きな皿にクロワッサンと卵だけをちょこんと乗せ、優雅にコーヒーをたしなんでいる。
 自分たちの山盛りの皿が恥ずかしくなったが、それも一口食べるまでの間で、悔いのないように猛然と食べた。銀色のポットには昨日までと同じように美味しいコーヒーが注がれていた。贅沢だ、と思った。


 たっぷりのコーヒーを楽しみ、贅沢も極め付きの「coffee to go」を頼むと、一人のスタッフがバーコーナーへ私たちを連れ出した。朝のことだ。部屋は無人で、しんとしていた。彼はカウンターの向こうから「ミルクと砂糖は?」と聞き、私たちは「ブラックで」と答えた。本当においしいコーヒーだったから、他のものを入れてしまうのが勿体ないように感じられた。
 彼はひとつまばたきをすると、紙コップの中へとぽんとミルクをついだ。くるりとかきまわして黒い色の蓋を閉める。その上へ砂糖と木製のマドラーもつけてカップを押し出すと、彼は私たちに向かってウィンクをひとつした。
 私たちは上着をはおってホテルの外へ出た。湖へ降りていく階段の途中に腰を下ろし、不本意ながらミルクの入ったコーヒーに口をつける。湖面はおだやかにきらめいている。観光船が、ゆっくりと湖を横切っていく。
 ミルク入りのコーヒーは、おいしかった。朝のひんやりとした風が頬をなぶって、ミルクの甘さがやさしく舌を温めた。コーヒーのいい香りはちっとも損なわれておらず、むしろ余計に濃く鼻腔をくすぐった。十月の初め、コモで迎える最後の朝に、これほど似合う味はないだろうと思った。
 私はイタリアに来てからのことを考えた。「メニューに載っているもの、どれでも好きなのを頼んだらいいさ」と肩をすくめた彼のことや、ミルクの入ったコーヒーのおいしさについて考えた。つめたい、真新しい朝の風が、心臓のそばを吹き抜けたような気がした。

 

 

 

旅の記録(イタリア、コモ、イルロンバルディア)

イタリアに行ってきました。

ミラノの北にある、コモ、という湖畔の町です。ミラノから電車で一時間弱。
都会からのアクセス感と言い、山あいの湖を観光船が行きかう感じと言い、妙に馴染みがあって、イタリアの箱根だなと思いました。

 

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イタリアの……

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箱根……

 

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さいこう……(食べ物もおいしい!)

 

Palace Hotelというきれいなホテルに泊まりました。

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ため息のでる美しさ。おまけに朝食とコーヒーがとってもいいんだ……。

 

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この壁紙にときめかずにいられるだろうか。サンペレグリーノ、にあう。

 

めちゃめちゃに満喫してしまいましたが。

コモにはイル・ロンバルディアという自転車レースを見にきたんでしたよ。箱根駅伝を見にお正月の箱根に行くみたいなイメージですかね。やはりコモは箱根なのだ。

 

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自転車レースには、数日~数週間続く「ステージレース」と、一日だけやる「ワンデーレース」の二種類があります。ツール・ド・フランスは三週間やるので「ステージレース」ですね。
一日だけやる「ワンデーレース」の中でも特に由緒正しいものを「クラシック」と呼んでちやほやするのですが、この日行われた「イル・ロンバルディア」は文句なしの「クラシック」です(第一回は1905年)。毎年秋に行われるので「落ち葉のクラシック」と呼ばれます。きれいすぎないか。

 

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この日はフィニッシュラインの25m手前で観戦。オーロラビジョンがあって英語実況が聞こえて天国でした。

自転車レースは200kmを5時間かけて走ったりしがちなので、どうにか中継にアクセスしないとレース展開がビタイチわかりません。選手が目の前を通りすぎるのは一瞬。現地観戦がいちばんわからない。自転車レースファンあるあるです。

 

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お向かいのUptown Funk感。

スポンサー様エリアみたいでした。

 

一番最初にフィニッシュラインを越えたのは……!?

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ニーバリ!

メッシーナ出身の32才です。 胸の前に手を置いてるのはチーム名アピールです。

自転車レースは若者をさしおいて三十路がガンガンに勝つから夢がある。

 

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沿道、この笑顔である。

 

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ファビオアル太郎。

 

レースを見に行ったつもりが、コモが思いのほかいいところで、思わぬおみやげをもらった感じでした。

たのしかったなー。

だいたい下調べをさぼって旅に出ちゃうので、言葉だの地理だのいろんなことがよくわからなくて、でもよくわからないところからいいものが出てくると、予測していなかったぶん大きな感動があるなーと思っています。下調べをさぼるというサプライズメイキング。

 

帰ってきた日は品川で日本酒を飲んだのですが、どこにどんなお店があるか知っているし(すごい)、メニューを見ればどのお酒が好みかわかるし(これもすごい)、おいしいごはんを食べるのがちっともギャンブルじゃなくて(すごすぎる)、うわーやっぱり日本さいこうだな!とも思いました。

 

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うきうきしながらテレビ中継をつけ、実況がイタリア語で撃沈。