ロードバイクのサドルはながく伸ばした舌に似ている

 


 2018年のツール・ド・おきなわを制したのは、34才のイタリア人、アラン・マランゴーニだった。そのレースを最後に彼は引退した。彼にとって、2009年のプロデビュー以来初めての勝利だった。

 驚嘆、感激、マランゴ先輩おめでとうの言葉がSNS上を乱舞した。秋、レースシーズンの終わり、南の島で勝利の女神を射止めた男に、惜しみない祝福が浴びせられた。

 そうか、マランゴーニは勝ったのか。勝って選手生活を終えたのか……。ライスシャワーのように乱れとぶ賛辞を目で追いながら、私はある選手のことを思い返した。

 オスカル・プジョル

 マランゴーニと同じ2018年に、35才で引退したスペイン人選手である。レーシングドライバー片山右京ひきいるチームでキャリア最後の4年間を過ごした。強い選手だ。日本では、2016年と2017年、ツアー・オブ・ジャパンという大きなレースを連覇している。

 彼の引退レースは沖縄のはるか北、宇都宮で行われるジャパンカップサイクルロードレースで、マランゴーニよりもちょうど3週間早かった。彼はそのレースを、DNF、という戦績で終えた。Do Not Finish、途中棄権、である。最後の花道を飾るには、そっけない3文字だ。

 

f:id:anelog:20190525100851j:plain

プジョル選手である(写真左、緑の服)。かわいいおひとじゃろう。

 

 日本における自転車競技は、本場西欧とくらべると、アンバランスな発展をとげている。短距離トラック走には競輪という大舞台があり、他国に類をみない厚い選手層をはぐくんでいるが、他方、アップダウンのある生活路を長く走る競技については、プロスポーツとして成立していることを知らない日本人の方が多いだろう。後者に属するツール・ド・フランスが観客1000万人を動員するビッグイベントであるのに対し、日本における自転車レースは、まだ発展途上にある。

 だから、と言うべきか、この国でNBA級のチームを呼んで催されるレースは限られている。まずは5月のツアー・オブ・ジャパン。そして10月のジャパンカップサイクルロードレース

 個人的な話で恐縮だが、2016年のツアー・オブ・ジャパンで、私はプロスポーツとしての自転車レースを知った。

 競技用の自転車を間近で目にするのもそのときが初めてだった。サドルは中綿やクッションなどという甘えを排した、かたい、むき出しの素材でできていた。軽量化のためか、それとも通気性を目的としてか、中心にひとすじのくぼみが通っている。

 それはかたく伸ばした舌の形に似ていた。怪物の舌へ尻を乗せているようだな、と思った。今にも食われそうで、食われまいとして、物凄い速度で走るのだ。

 

f:id:anelog:20190525100919j:plain

フランス語で自転車は「ベロ」だし。

 ツアー・オブ・ジャパンは8日間にわたって行われるレースだ。前日までの累計でいちばん優勝に近いタイムを持つ選手は、リーダージャージと呼ばれる特別のユニフォームを身につける。7日目の伊豆ステージ、リーダージャージを着たオスカル・プジョルが、何人ものライバル選手たちを引き連れ、目を剥き、歯をくいしばり、全力で走っていた。

 あとから分かったことだが、私の初めて見たレースは、いきなりセオリーを踏みはずしていた。

 競輪をご覧になる方ならご存知かと思うけれど、自転車レースにおいては、先頭で風を切る選手の負担がいちばん重い。仮にまったく同じ力量の選手が2人いて、前後のポジションを固定したままずっと一列で走るとすれば、最後にはまちがいなく後方の選手が勝つ。彼は空気抵抗と戦わなくてよく、体力を温存できているからだ。フィニッシュライン近くで加速し、疲れはてた相方を置きざりに勝利をおさめて終わりである。

 なんだかずるいように聞こえるが、空気抵抗という見えない敵をいったい誰が倒すのか、というのは、自転車レースにおける重要な戦術のひとつだ。大人数で交代しながら空気抵抗を分担すれば一人で走るより格段に速い。みんなで協力すれば、たった一人の強力な選手に、チームの力で打ち克つことができるのだ。うつくしいアイデアである。逆を言えば、ひとり孤独に先頭を走れば、他選手よりも早く消耗するという点においてハンデを背負う。

 にもかかわらず、2016年のツアー・オブ・ジャパン7日目、プジョルはいちばん前を走っていた。チャーミングなひげを土埃と汗に濡らし、全身全霊の力を振りしぼってペダルをまわしていた。前日までの累計で2位につけるマルコス・ガルシアにリードをゆるしていたからだ。タイム差の1分5秒をひっくり返されれば、優勝が彼の手からこぼれ落ちる。

 

f:id:anelog:20190525100924j:plain

チャーミングなおひげ。

 本来ならチームメイトを前に立て、空気抵抗を減らして走りたい場面だが、間の悪いことに早い時点ではぐれてしまっていた。チームメイトを待って合流するか。いや、その間に致命的なタイム差がつきかねない。彼は一人でガルシアを追う。他チームの選手たちが彼の後ろへぴったりとはりつく。プジョルがガルシアを追わねばならないのは自明だ。

 プジョルは173cm58kg、山向きの、細身の選手である。自転車で急勾配をのぼるとき、軽い体重は有利にはたらく。反対に、平坦路ではぎっしり筋肉をつめこんだ重量級の選手が強い。翌日の最終レースは日比谷から品川区の大井埠頭まで、関東平野中の関東平野弩級の平坦を予定していた。もともと前日の富士山、壁のような登りを使ってかせいだタイム差だ。今日その差を詰められれば、翌日に取り返すことは難しい。

 彼は背後の味方でない選手たちに塩を送りながら、先頭の一番きついポジションでもがき続けた。地獄のようなレースだった、とは、彼自身のコメントである。

 その戦いぶりは初めてレースを見る私の目にもすさまじかった。大きく目をむき、鼻のつけねへぎりぎりとしわを寄せたプジョルが、ほんの一瞬、疾風のごとくに目の前を通り過ぎていった。

 彼はその日、1分5秒のタイム差を守った。守りきった。ひとり空気抵抗にあらがう不利を、力量でねじふせてみせた。

 翌日のレース最終日、スタート時の6人からもはや2人にまで減ったチームを率い、オスカル・プジョルは勝った。平坦を得意とする重量級の選手たちが、その日の勝利を目当てにハイスピードでぶち上がった。その流れをうまく利用した。プジョルは集団の中で理想的な位置につき、タイム差をキープして、総合優勝のリザルトをみごと手中にした。

 表彰台の上でシャンパンファイトを楽しむ彼は晴れやかな笑みを浮かべていて、前日の伊豆で見せた不動明王もかくやという形相が嘘のように感じられた。表彰式が終わると、彼は観客のいるあたりを一人でひょいひょいと歩いており(こういう場面の発生するプロスポーツって他にあるだろうか?)、驚きながらも手をふると、あかるい笑顔を浮かべ、ありがとー、と手を振りかえした。

 思わず目を奪われた。プジョルという一人の選手をとおして、自転車レースそのものがこちらへ微笑みかけてくれたような気がした。私がレースを追うようになった、きっかけの出来事だ。

 

f:id:anelog:20190525100936j:plain

どうでもいいことだけど、前日のイメージが頭にこびりついており、「オスカルプジョル」という声がたびたび「お疲れプジョル」と聞こえた。

  2018年、プジョルは奮わない。レースには出場するものの、戦績にはときおり3桁にとどく平凡な数字や、あるいはDNFの3文字が並んでいる。前年まで連覇していたツアー・オブ・ジャパンには出場すらしなかった。彼は膝に故障をかかえていた。

 その年、プジョルは引退を決めた。10月21日のジャパンカップサイクルロードレースがその舞台にさだめられた。彼が過去ジャパンカップでおさめた最高順位は、2016年の5位だ。好調の年に5位。今年、華々しく優勝をおさめるというわけには行かないだろうなと、私には思われた。

 レースの日はすばらしい快晴だった。朝晩こそ10度弱と冷えこんだが、市内では最高気温が22度に達した。ジャパンカップは歩いて登っても息がきれるような山道で争われる。選手たちには暑すぎるくらいだろう。

 レース序盤からプジョルは前へ出た。3人の小集団をつくり、他の選手たちを大きくリードした。小集団のメンバーはプジョル、今一度のマルコス・ガルシア、そしてクーン・バウマンの3人だった。

 バウマンは当時24才のオランダ人選手である。ジロデイタリアをはじめ、大きなレースに度々出場する若く有望な選手で、プジョルやガルシアのように、ふだん日本で走ってはいない。この3人の中では、実力で頭ひとつ抜けている印象だ。

 

 自転車レースには最速でフィニッシュラインを割る「優勝」のほか、スプリント賞、山岳賞、という別枠の勝利がある。コース上、フィニッシュラインとは違う位置に、スプリントポイント、山岳ポイントというラインがいくつか設定されていて、そのラインを早い順位で通過した選手に点数が加算される。レースが終わったとき、スプリント、山岳の各点数をいちばん多く持っている選手が表彰台に上がる。レースレポートにも大きく名前が残る。

 ジャパンカップは10kmほどの環状コースを14周するレースで、山岳ポイントはそのうち 4つの周回に設定されていた。山岳賞のルールとしては珍しく、周回のうち一度でもトップでラインを割れば表彰台に上がることができる。累計でトップの選手だけが表彰される他のレースに比べれば、チャンスは最大4倍だ。

 プジョルの狙いはこれだろう、と思われた。

 

f:id:anelog:20190525100943j:plain

これをああしてこうするのだろうと思われた。

  小集団で走ると、空気抵抗の分担が大きくなるぶん、体力を消耗する。

 しかし、もしも最後まで後方の選手たちを寄せつけなければ、優勝争いの分母はケタ違いに小さくなる。いずれは集団に追い抜かれるとしても、中途のスプリントポイント、山岳ポイントは彼らのものだ。先頭の小集団は、異なるチームの選手たちで構成されていても、一時的に共通の利害を持つ。

 だから、小集団の中で紳士的に戦績を分け合うこともある。スプリントポイントが2カ所あれば、1回目は私、2回目はあなた、というふうに。

 マランゴーニやプジョルの引退年齢が30代なかばであることからもわかるとおり、自転車レースは選手生命の長いスポーツだ。レース中には空気抵抗という共通の敵を相手にチームメンバー以外とも連帯するし、チーム間での選手の移籍も激しい。誰ともうまくやっていかないと、いざというとき足元をすくわれる。自転車レースには忖度がある。それはいつか勝つための方策だ。

 

 さて、ジャパンカップには4回の山岳ポイントが設定されている。最後の1回はレースが佳境に入っているタイミングだから、さすがに総合優勝狙いの面々にゆずらざるを得ないだろう。残り3回。対し、小集団はプジョル、ガルシア、バウマンの3人。数は合っている。

 私は幾分ほっとしてレースを見守った。3回目の山岳ポイントまでを3人でしのぎきれば、全員で表彰台に上がることができるだろう。1回目の山岳ポイントをガルシアが。2回目をバウマンが取った。さすがにずいぶん苦しげだが、後方の選手たちとはまだ距離がある。あとは最後の1回をプジョルがとるだけだ。私はスマートフォンで中継を見ながらそのときを待ちわびた。彼の最後の表彰台をこの目に焼きつけようと、表彰式の行われる地点へ移動する算段を始めていた。

 バウマンが山岳ポイントを取った。

 えっ、と声が出た。

 彼はそのまま加速し、プジョルとガルシアを置きざりに独走を始めた。

 その瞬間、プジョルが表彰台に上がる可能性はついえた。4度目の山岳ポイントは最終局面にそなえて力をためてきた選手たちが取るだろう。ジャパンカップは、NBA級のチームから選手が送りこまれる大きなレースだ。消耗しきり、また故障をかかえたプジョルが優勝に絡むことは、残念ながらむずかしい。

 歓声の波が、沿道をつたって近づいてくる。

 中継から目を上げると、選手たちの一団が目の前を通り過ぎていった。私はプジョルを目で探した。いない。見落としただろうか。プジョルのゼッケンナンバーは……。

 彼は集団の後ろ、勝利にはもう絡むべくもない場所を、チームメイトに守られることもなく、独りで走っていた。沿道から声がかかるとにこやかに手を振り、ハイタッチを返すこともあった。勝利ではない何かを、ゆっくりと拾い集めているようにも見えた。

 プジョルはそのあとリタイアした。彼の選手生活は、DNF、の3文字で締めくくられた。

 

f:id:anelog:20190525100950j:plain

ジャパンカップのコースは徒歩でもけっこうきつく、自転車で登れるのよくわからない。

 今になって考えれば、バウマンは、ジャパンカップの山岳賞ルールを誤解していたのかもしれない。最大4人が表彰台に上がる山岳賞なんて珍しいルールだ。ふだん日本で走っていない彼が、プジョルが引退を控えていることを知らなくても無理はない。レースには120人からが出場している。たった2日、ハイスピードでペダルをまわしながら、全員の事情を把握することはできない。そもそも、スポーツだ。持てる全力を尽くすことを誰が責められるだろう。

 自身の引退レースを初勝利で飾る、とまではいかなくても、自分で去りぎわを決められるなら、選手としては幸福な部類だとも聞く。チームからスポンサーが手を引き、あるいは契約を切られ、練習中に怪我を負い、ほとんど引きずり出されるようにして、多くの選手たちが不本意にレースから追い出される。 

 しかし、ジャパンカップで山岳賞をとって表彰台にのぼる、というのは、オスカル・プジョルという選手のキャリアに比して、決して贅沢な願いではなかったように思われる。怪我を押して古賀志の山を登り、たった3人きりの小集団で力を振りしぼり、3回目の山岳ポイントまで望みをつなぎ、しかし。そして。

 そのときのことを思い返すと、まちがったパラレルワールドへすべり落ちてしまったような気がする。もとの世界で、プジョルは1回目の山岳ポイントを獲り、そして満足のいく順位でレースを終えている。早めに山岳賞を決めた彼は、勝負が始まるまでの周回を集団の中でじっくりと力をため、そしてベテランの嗅覚でもって勝負どころをものにしたのだ。最後にはまっさらな山岳賞ジャージを着て表彰台へのぼる。ファンの声援へ、花束をふって応える。そういう過去が、どこかへしっかりと存在しているように思える。

 すべり落ちてしまったパラレルワールドにも5月は来る。今年もまたツアー・オブ・ジャパンが始まり、レースは進んでいく。私にとってはオスカル・プジョルと分かちがたく結びつけられたレースだ。

 選手たちは競技用自転車のサドルへまたがって出走を待つ。かたく長く伸ばした舌のようなサドル。獲物をもとめて伸ばされた舌の上へ座り、背水の陣をしく。大口をあけた怪物に食われまいと、物凄い速度で走る。それはゆっくりと近づいてくる。遠ざけるには、ただ勝つしかない。

 
 引退したプジョルは、スペイン語圏の自転車番組に出演しているそうだ。試しに検索してみるとyoutubeの動画がひっかかる。画面に映るプジョルは、日本で所属していたチームのジャージを上から下までばっちり着こんでいた(いいのか?)。少し高めのあたたかな声といい、チャーミングなカイゼル髭といい、少しも変わっていないように見えた。

 番組の中で彼は台湾を訪れ、軽い足取りでサドルへまたがった。そして脚に力をこめ、息を切らしながら、実に楽しげに山を登っていった。

 

 

 

お世話になりました;

170kmを逃げ切ったアラン・マランゴーニが「カンペキ」な勝利 - ツール・ド・おきなわ2018 国際レース詳報 | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/282301

NIPPOのマランゴーニが最後独走で優勝 ツール・ド・おきなわ男子チャンピオンレース - cyclist https://cyclist.sanspo.com/437075

個人総合順位がシャッフル オスカル・プジョルが富士山ステージを制して総合リーダーに - ツアー・オブ・ジャパン2016第6ステージ富士山 | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/201166

新城幸也 復活の狼煙  総合リーダーはプジョルが死守 - ツアー・オブ・ジャパン2016第7ステージ伊豆 | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/201267

オスカル・プジョルが総合優勝 異例の逃げ切りでサム・クロームがステージ勝利 - ツアー・オブ・ジャパン2016第8ステージ東京 | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/201315

接戦のマッチスプリントはパワーに軍配 ワールドチームを従え、存在感を示した宇都宮ブリッツェン - cyclist https://cyclist.sanspo.com/431863

古賀志で抜け出した2名の一騎打ち ロットのチームプレイを崩した23歳パワーが初優勝 - ジャパンカップ2018ロードレース | cyclowired https://www.cyclowired.jp/news/node/280086

Pro Cycling Stats
https://www.procyclingstats.com/