旅の記録(イタリア、コモ、コーヒー)

 


 イタリアでは、コーヒーが美味しかった。

 

 誤解しないでほしい。コーヒー以外にも、もちろん美味しいものはたくさんあった。十月の初めはポルチーニ茸の旬だし、ワインは気兼ねのない値段で美味しいものがたっぷり飲める。肉厚で味の濃いトマトをアンチョビやオリーブと一緒にサラダで食べ、茸のうまみをふくふくと染みこませたチーズリゾットを食べ、嘘のようにやわらかな白身魚フリットを食べ、ふと目をあげると、夜闇、大聖堂を背に、青く光るおもちゃが高々と打ち上げられては落ちてくる。観光地でよく売られているあれだ。打ち上げられるときには空気を切って、花火に似た音を立てる。その光を目で追いながらプロセッコを飲む。細かな泡がまっすぐな列を作る。おもちゃの青い光。つやつやとしたプロセッコの泡。こうして思い出しても陶然とするけれど、コーヒーの美味しさは、なんとなく別のところにあるものだった。

 

 コモ湖はミラノの北にあって、人、という字にそっくりの形をしている。この漢字を持たない人たちはさぞ表現に困るだろうといらぬ心配をしてしまうほどだ。そして、人、という字の一画目が終わるところにコモという街がある。湖畔の高級リゾート地で、今年はイル・ロンバルディアという自転車レースのゴール地点に選ばれていた。(箱根駅伝と違って、自転車のレースは毎年コースが変わる。)そのレースが私たちの目当てだった。
 コモではパレスホテル(http://www.palacehotel.it/)に泊まった。外観も内装も美しくて格式の高いホテルだが、ツインルームをシェアしたから、一人あたりの値段は東京でアパホテルあたりに泊まるのと大差なかった。
 ※もちろん恋人同士でないならシングルルームを二つ取るのがセオリーだろうが、もともと高校からの友人で私たちの方には抵抗がない。セミダブルという名のシングルベッドに二人で寝たこともある。部屋でのことを明らかにしなければならないわけでもなし、ホテルの方には「そうかあ」と思ってもらえばいいだろう、と考えたのである。

 

 朝食会場のレストランに行くと、部屋番号を聞かれもせずテーブルに通される。二十代の女二人だからまあ、邪魔にならないところに配置されるのだが、面白いもので、一日ごとにいいテーブルへ案内されるようになる。一泊ではもったいないホテルだなと思う。
 この朝食が格別だった。クロワッサンからハードブレッドまですばらしい味で、もちろん薄いトーストをかりっと焼くこともできる。日替わりのタルトが数種類。生ハムやターキー・ブレストに各種のチーズ。リコッタチーズはケーキのような形のまま足つきの皿に置かれていて、たっぷりどうぞと言わんばかりに大きなナイフが添えてあった。真新しいルッコラは香り高く舌に柔らかで、イタリアという土地の懐深さを知る気がした。
 もりもりと食べ進み、ようやく人心地ついたところで、銀色のポットがぽんとテーブルへ置かれているのに気がついた。いつの間にかコーヒーが運ばれていたのだ。そういえば、「Coffee or tea?」と聞かれて、居並ぶジャム・サーバーに半ば目を奪われながら「Coffee, please」と答えた記憶がある。コーヒーカップをソーサーの上へ置きなおして注ぐ。運ばれてきて二十分は経つはずだが、はっきりと湯気が立った。
 そのコーヒーが強烈に美味しかった。瀟洒なレストランの落ち着かない場所で私はハッと目を見ひらいた。場違いな舞踏会の合間、才気換発を絵に描いたようなご令嬢に目を奪われた気分だった。天井から下がるシャンデリアにも、壁をとりかこむ巨大な絵画たちにも決して気後れせず、その才と機転とで堂々とわたりあっている。観客としては実にすかっとする光景である。気持ちのいい苦味が香りを際立たせ、飲み込むと、バターのような舌触りが後にのこった。私たちは顔を見合わせておいしい、おいしいと言いあった。
 何をいつまでにと決める旅でもない。私たちは気が済むまでコーヒーの香りを楽しんだ。注ぎおわってしまうとさみしい気もして、それがまた嬉しかった。ランチの後にあわただしく流しこむコーヒーや、糖分とカフェインをとるために自動販売機で買う缶コーヒーとは、なんというか、根本的に違うものだった。
 私はそのコーヒーを介してコモという街にいっぺんに恋に落ちた。まったくの盲目に陥り、他の選択肢は目に入らなくなった。滞在中、「Tea, please」は一度も出番がなかった。今思えば惜しいことをしたと思う。

 

 ある夜、カフェへ足を運んだ。まだ日の長い頃で薄明るいが、時計は夕食の時間にさしかかっている。書き入れどきにコーヒーで席を占めてしまうのも迷惑かと思い、ディナーでなくティーだけでもよいか、と尋ねると、カフェのスタッフは馬鹿馬鹿しそうに肩をすくめ、「メニューに載っているもの、どれでも好きなのを頼んだらいいさ」と答えた。そんなものか、と私も肩をすくめて窓際の席へ座った。友人は仕事を始め、私は本を開いた。
 昼間ならば湖の見える席だったろうが、あかるい店の中から見る日暮れの景色は空も湖面も一様に真っ暗だ。店から漏れる明かりが人々をスポットライトのように照らしていた。粘度のある暗がりから人の形がぽっと浮かび、通りすぎて、また暗がりに沈みこんでいく。……カプチーノの泡に唇をひたす。泡に隠されていた黒色が、香ばしいにおいと共に口のなかへ流れこむ。
 背のたかいスタッフが隣の席を片付け始めた。彼は機嫌よさそうに歌いながらテーブルクロスを剥ぎ、パン屑ごとくるくると丸めてカウンターに置いた。新しいクロスを取り出し、折りあとも鮮やかなままばさりとかける。それで終わりだった。私たちが店を出るまで、丸めたクロスは新種のデニッシュみたいに堂々とカウンターの上を占拠していた。
 考えてみれば、ディナー・タイムに単価の高いものを、というのは経営者の理屈である。働き手からしてみれば、手数のかからないコーヒーや簡単な茶菓子で行儀よく過ごす客の方が楽にちがいない。それで店が潰れたところで彼の知ったことではないのだろう。何度か面接を受ける手間はかかるかもしれないが、毎日を慌ただしい仕事に明け暮れるよりは、その方がましに思える。また似たような店へ勤めなおして、好きな曲がかかればハミングして、パン屑はクロスの中へ丸め込んで、あとはたぶん、誰かがどうにかするのだろう。彼の背中を見ていると、私は日本での仕事を考え直したくなった。
 フェアでない気がするのでつけくわえておくと、カプチーノはごくふつうの味だった。

 

 コモで過ごす最後の朝は、目当てにしていた自転車レースの翌日だった。朝食をとるためにレストランへ向かうと、廊下へ並べられた新聞に優勝者の写真が出ていた。そのレースを勝ったのは、ニーバリ、というイタリア人だった。見事な勝利だった。コモへ向かう下り道で圧倒的な強さを発揮し、彼の後ろについたフランス人選手をぐんぐんと引き離した。イタリア語はちっとも読めないが、昨日の興奮がよみがえって、思わず目を奪われる。
 と、新聞の横に、「coffee to go」というプレートが置かれているのに気付いた。昨日までもあったのだろうが、新聞に興味がなかったから気がつかなかったのだ。私の心は逸った。あのとびきりおいしいコーヒーを手に最後の散歩をしたら素敵だろうと思ったのだ。連日何時間も歩きまわって、体はたぶん疲れていたのだが、この素敵なホテルで過ごす時間すら惜しいほど、はなれがたい街だった。
 まずは朝食、とレストランへ入ると、滞在中で一番いいテーブルに通された。スタッフは私たちの顔をちらりと見て「コーヒーでしょ?」と言った。もちろんだ。友人が皿を手にビュッフェ・テーブルの前へ立っていると、別なスタッフが隣に寄っていき、彼女の皿にリコッタチーズの小山を築いた。(ほら。まず一切れ。もっと食べるでしょ、食べるよね? もう一切れだ。どう?)こういう経験は今までどのホテルでもしたことがなかった。会話らしい会話もしないのに、日を追うごとに距離が近づいていく、なんていう経験は。
 昨日までは尻込みしていたタルトも勢いこんで盛り、たっぷりした皿をテーブルへ置くと、隣の席、ご夫婦の二人連れが目に入った。大きな皿にクロワッサンと卵だけをちょこんと乗せ、優雅にコーヒーをたしなんでいる。
 自分たちの山盛りの皿が恥ずかしくなったが、それも一口食べるまでの間で、悔いのないように猛然と食べた。銀色のポットには昨日までと同じように美味しいコーヒーが注がれていた。贅沢だ、と思った。


 たっぷりのコーヒーを楽しみ、贅沢も極め付きの「coffee to go」を頼むと、一人のスタッフがバーコーナーへ私たちを連れ出した。朝のことだ。部屋は無人で、しんとしていた。彼はカウンターの向こうから「ミルクと砂糖は?」と聞き、私たちは「ブラックで」と答えた。本当においしいコーヒーだったから、他のものを入れてしまうのが勿体ないように感じられた。
 彼はひとつまばたきをすると、紙コップの中へとぽんとミルクをついだ。くるりとかきまわして黒い色の蓋を閉める。その上へ砂糖と木製のマドラーもつけてカップを押し出すと、彼は私たちに向かってウィンクをひとつした。
 私たちは上着をはおってホテルの外へ出た。湖へ降りていく階段の途中に腰を下ろし、不本意ながらミルクの入ったコーヒーに口をつける。湖面はおだやかにきらめいている。観光船が、ゆっくりと湖を横切っていく。
 ミルク入りのコーヒーは、おいしかった。朝のひんやりとした風が頬をなぶって、ミルクの甘さがやさしく舌を温めた。コーヒーのいい香りはちっとも損なわれておらず、むしろ余計に濃く鼻腔をくすぐった。十月の初め、コモで迎える最後の朝に、これほど似合う味はないだろうと思った。
 私はイタリアに来てからのことを考えた。「メニューに載っているもの、どれでも好きなのを頼んだらいいさ」と肩をすくめた彼のことや、ミルクの入ったコーヒーのおいしさについて考えた。つめたい、真新しい朝の風が、心臓のそばを吹き抜けたような気がした。